伊豆下田の宝福寺のレプリカ扇子(坂本龍馬脱藩赦免の証 「風待ちのひょうたん」)です。
家族旅行で南伊豆に訪れた際に購入し、自宅のショーケースで大切に保管していました。
扇子を開いた時のサイズは、約400mm×約270mmです。
(説明)
【龍馬脱藩は下田で許された】
(伊豆竜馬会発行の「坂本龍馬 下田飛翔物語」より)
一つの嵐がつくった物語。文久3年(1863年)、前土佐藩主、山内容堂を乗せた大鵬丸は、大阪に向かっていましたが、荒天のため下田港に避難しました。それでも嵐を押して出港したものの、難破し損なって下田港に舞い戻ります。
ちょうどそこに土佐藩を脱藩した坂本龍馬たちを伴った幕臣・勝海舟の順動丸も下田港に入ります。
容堂と海舟が宝福寺で会談。その中で、海舟は坂本龍馬の脱藩を懇願しました。容堂は、海舟が下戸であることを承知の上で、酒を飲ませます。海舟は「朱の大杯」に満たされた酒を飲み干しました。果たして龍馬の脱藩が許されたのです。
赦免の証として、海舟は容堂の瓢箪を求めました。容堂は、瓢箪は渡せないと、白扇に瓢箪の形を描き、その中に「歳酔三百六十回 鯨海酔侯」と記して与えました。
こうして伊豆・下田は、坂本龍馬が以後、心置きなく維新回天の大仕事に打ち込めるようになったきっかけの土地、「龍馬飛翔の地」になったということです。
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