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昭和 前期 12代柿右衛門 柿右衛門焼合資会社 色絵鳳凰文八角小皿
4,300円 合人民币: 217.74
やや傷や汚れあり
送料込み(出品者負担)
有田焼
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ゆうゆうメルカリ便
未定
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説明するにあたり難しい話になりますので極力出品を控えてましたが、この度出品致します。

柿右衛門と聞いて赤絵のイメージが強いと思いますが、詳しく存じ上げてる方は少ないかと思います。

1596年酒井田弥次郎(福岡県八女市酒井田)の領主の子として酒井田喜三右衛門(初代柿右衛門)が出生しました。
2年後の1598年の慶長の役で朝鮮陶工であった李参平を含む150名を連れ帰陣します。(有田焼の始まりの祖です。)
1616年李参平が有田泉山より白磁鉱(陶磁器原料)を発見し焼物焼成に成功。1年後に初代柿右衛門親子は白川郷より有田町へ移住します。そして、高原五郎七(豊臣秀吉御用の焼物師)より4年間に渡り作陶の教えを受けます。1626年頃に鍋島藩御用窯を有田岩谷川内に設けられ、初代柿右衛門は作陶に励みました。1643年についに赤絵付を成功します。その後、濁手など大きな功績を残しますが、濁手素地については途絶えます。
長い年月の末、ついに昭和28年に濁手素地の復元に成功したのが12代柿右衛門と13代柿右衛門の親子です。

一般的に銘にある角福を見て柿右衛門と判断される方が多いですが、正確には、これは11代が1885年に商標登録した柿右衛門焼合資会社の銘です。大正6年に襲名した12代は大正8年に資金提供をした小畑秀吉と柿右衛門焼合資会社を設立します。昭和3年に12代は予備陸軍中将の堀田正一の後援を得ることになり、合資会社脱退の申込みをし、小畑秀吉と分離することになります。会社を脱退した為、角福銘は法理上、前会社の所有権に移り合資会社のものとなりました。それ以降、柿右衛門家では「柿右衛門作」の銘を使用し始めます。12代脱退後、合資会社は角福に「柿右衛門謹製」や「柿右衛門之造」の文字を加えた銘を用いるようになりました。

本作品は角福に「柿右衛門造之」銘となっています。つまり、この作品は12代柿右衛門が脱退した後に作成された昭和初期の柿右衛門焼合資会社の作品です。
柿右衛門焼合資会社の作品は滅多に見つかることはなく、歴史を感じさせます。金継ぎによる修正の後はありますが、寧ろこれは長い年月を経て現代にまで引き継がれてきた物語を持っています。

サイズは8.5cm×高さ2cmです。
よろしくお願い致します。

種類···磁器
焼き物···伊万里焼・有田焼
種類···皿/プレート
種類···小皿
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