サイズ約
縦31cm 横35cm 厚さ約2cm
作家紹介
和歌山県高野口町で育った画家 高井貞二(たかい・ていじ 1911-1986)の画業を回顧します。
いまから100年前、1911(明治44)年に生まれた高井は、1930(昭和5)年、19歳のときに第17回二科展へ出品した《文明》が入選し、メカニズムの画家として画壇に登場しました。飛行機や機械、ビルディングなど近代的な事物への素朴な憧れを反映させた作品は、東郷青児などモダニズムを代表する画家たちに 注目され、高井は新進画家として認められていきました。
昭和初期の都市文化から刺激を受けながら、自身の絵画表現を追求する一方、『新青年』、探偵雑誌 『ぷろふぃる』をはじめとするさまざまな雑誌の挿絵を手がけ、イラストレーターとしての仕事も始めています。仲間にも恵まれ、「新油絵の会」「集団 新挿絵」などの展覧会グループを創立するほか、二科展の新しい表現を目指した作家たちのグループ「九室会」にも加わって活躍しました。
1931(昭和6)年の満州事変以降、美術にも社会的な役割が求められるようになると、高井はアメリカの壁画運動に学び、より大衆に訴えるモチーフを従軍画家として取材した中国に求め、現地の風物や人々を写実的に描いて好評を博しました。そして、戦後はニューヨークに渡って抽象画家として再出発し、アメリカと日本の数々の展覧会で紹介されています。
時代とともに歩もうとした高井の多彩な作風の展開には、彼が画家として生きた昭和の揺れ動く世相が反映しています。その仕事を見ることは、わたしたちに社会と美術との関係について深く考えさせてくれる機会ともなるでしょう