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ドイツ文学史 東京大学出版会 定価2000円
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1150年まで
ドイツ語文学への道程/宮廷文学への道
ドイツ語・ドイツ文学ドイツ民族は十世紀から十二世紀にかけて徐々に他のヨーロッパの諸文化から独立した
独自の文化を築きあげていった。フランク王国の分裂と東フランク王国の成立に始まり、オット1大帝の神聖ローマ帝国の創立を経てサリカ王朝の統治にいたるこの二百余年の間に、諸部族の単なる政治的連合体に過ぎなかったものを統括する意識が芽生え、定着していったのである。この経緯は「ドイツ」deutschという単語の意味・内容の発展に如実に現われている。七八六年のある司教の報告書で初めて使われたこの語は、当初支配階級の通用語であったラテン語に対し、民探すなわちゲルマン諸部族の話す言葉を指して、しかも theodescus というラテン語化した形でしか用いられなかった。ドイツ語としてこの語を用いたのは十一世紀初頭のノートカーが最初である。一方、ゲルマンの側からは、「フランク族語」frenkisc などの各部族やその言語を表わす語彙はあっても、それらの上にたつ総括的概念は存在しなかった。ところが西フランク王国内で、九世紀頃から徐々にロマン語を話す人々もフランク族を自称し、フランスという民族国家意識が生れて来るにつれ、民族と言語を区別して表現する必要が生じ、ゲルマン系の言語という意味で「ドイツ語」という語が一般に用いられるようになっていった。最初言語に関してのみ用いられたこの概念が、それを話す人々をも指し、さらにその居住地域、国土をも意味しうるようになった  《中略》
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