タイプ...日本画
軸先含めない全体的な大きさは195cm×53cm程度です。
山田訥斎(1814-1873)やまだ・とつさい
文化11年羽栗郡笠松生まれ。薬種商・山田国春の子。名は惟孝、字は子友、通称は嘉兵衛。少年の頃から画を好み、はじめ笠松の広瀬春樵について学んだが、のちに尾張の山本梅逸の門に入り本格的に学んだ。梅逸の高弟の一人として画名は高まり、訥斎の画塾に入門するものも多かった。また、勤王家でもあり、梁川星巌、頼三樹三郎らとも親交があった。画のほか詩文、篆刻もよくし、和歌などを学ぶなど多芸多才であったという。明治6年、60歳で死去した。