日本代购-江戸後期写 彩色筆写 六八×八〇 保存良 北及び東方に広がる南筑後平野を抑え、肥前に対する要衝の地に築かれた柳川城の図。戦国時代に蒲池氏によって築かれ、竜造寺氏・立花宗茂と城主は変わり、関ヶ原合戦後田中吉政が入城、大々的に改修整備した。田中氏改易後、再び立花氏の居城となり明治維新まで続く。本図を見ると東方より南北方向へ導水路を兼ねた掘割を通して外堀とし、三つの橋を架け、その中に城郭・家中屋敷・蔵屋敷・町人町・村を配置する。城の中堀の東側に真正寺・弓鉄砲同心屋敷、北側に辻門橋・侍屋敷、その南に内堀によっ??篇???????篇 ??????????????????????????? ???????????