寛政9年(1797)生~慶応元年(1865)歿
江戸に生まれる。名は正謙、字は有終、拙堂または鐵研と号した。伊勢の津の人。昌平黌で、古賀精里に学び、のち伊勢津藩主藤堂高兌が藩校有造館創建の折、三重県の津に移り藩儒となって、有造館で刊行した『資治通鑑』の出版に尽力した。
郡奉行などもつとめ種痘館を設置し種痘をはじめて津藩にひろめたなど、当時としては進歩的な学者であった。
「鐵研生」の下に、白文の「斎藤謙印」、朱文の「拙堂居士」の落款印が押されている。(説明文 引用)
状態は悪いですが、何かの参考資料になればと思い出品致します。
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